代役
宝塚では公演ごとに配役の発表があります。それと同時に代役と言って、もし何かあったときに代打で立つ代役の発表もされます。タカラジェンヌはいかなる時も舞台に支障が出ないように体調に気を使っていますが、それでも不慮の事故や怪我や病気で舞台に立てなくなる可能性は0ではありません。公演をストップするわけにはいかないので必ずどの公演にも代役は発表されます。
しかし代役公演となった場合の舞台裏では大変な事が起きています。公演中に唐突に明日急遽代役で舞台に立つということもありました。自分の役だけで手一杯ですが、出来ない理由にはなりません。いかなる時も私たちは備え準備し、舞台を滞り無く進めなければなりません。
場当たりといって実際に舞台とセットを使って本番前に確認をしたりしますが、急遽の代役公演では舞台セットがそこまで関わっていない場面は場当たりもせずにぶっつけ本番で舞台に立つこともあります。
代役公演を経験すると普通に舞台を踏むより何倍も度胸と精神力がつき、なんでも乗り越えられるような自信が付きます。それくらい裏では戦争のように大変な事が起きつつも、お客様からは普段通りにしか見えないのがプロの力だと思います。
代役のために寝ずにセリフや振付を確認し、一晩で本番通りに仕上げるのです。ドラマのように撮り溜めたり、途中で確認する事ができないのが舞台です。その時の精神集中と助け合う一致団結したプロ根性はとても素晴らしいものだと思います。
だからこそ自分が抜けることでそんな迷惑はかけられないと絶対休演だけはしたくないとタカラジェンヌは誰しもが思っています。このような環境ですのでタカラジェンヌは誰もがとても強い正義感と責任感があります。
人生において
しかし人生においてここまでの意識は自分を苦しめ、いつしか自分の幸せを見失ってしまう可能性が非常に高くなってしまうと思います。
同じように社会で責任感を持って生きている人は誰にも頼ろうとせずに一人で抱え込もうとする傾向が強いと思います。私も社会に出て辛かったひとつがなんでも自分でやろうとし、それがいつの間にか自分にとって強いストレスになっている事でした。 具合が悪くても熱があっても当たり前に出勤していました。毎年皆勤賞は当たり前でしたし、休んだ人の分も自分が補っていました。しかし段々と自分の業務が増え、疲れも取れずにいても言い訳をする自分だと思われたくなくて自分の感情を押し込めていました。
結局押さえ込んでいたものが現実となってさらに自分を苦しめたのがいうまでもありません。
人生に代役はいないことにやっと気づく事ができました。『責任感が強くても自分をほったらかしにし、自己犠牲をしていては一生幸せにはなれない』と気付きました。
会社は私がいなくてもどうにか回ることも分かりました。ただ自分で勝手に作り上げたマイルールで自分を縛り付けていただけでした。その強すぎる責任感によって得られたものは疲れ切った自分だけでした。
責任感と自己犠牲、そして本音
人生で自己犠牲は本当に意味のないことです。与えられた仕事や任務をやり遂げる、そこに『自分を犠牲にすることは全く紐づかない』ことを私は知ることが出来ました。
人に頼ることで人との絆が深まりますし、さらに良い仕事が出来ます。そしてその時の私の強すぎる責任感の裏には実は自分が人を信じていない事にはっきりと気づいてしまいました。人の能力を無意識に判断し、任せられないという思い込みがあったのです。
自分のことを棚に上げていたのか当時の私は本当に色々と拗らせていました。孤独を感じていたのも自分が無意識に人を信じずにいたから勝手に距離が生まれていたのです。人を信じていなかったから自分で何でもやろうとして勝手に疲れていたのです。自分の本音に気づいた瞬間でした。
『人生に代役はいない』このことに気づくのと同時に人は一人では生きていけないことを痛感しました。あなたがもし自分で責任感が強いと感じるのなら一度自分の生き方を見直してみてください。その責任感の裏に何か大切なものを見失っていたと気がつくと思います。
このように1つの気付きから次々と色んな事が紐解かれていったり新たな発見や気付きがでてきます。ここにいかに早く気づくか、その為にも自分の心の動きに敏感になること、自分の心に反し無理していると必ずどこかでつまづいたり不調が出てきます。そのサインを見逃さずにいること、心の声を常に聞き、自分の行動に不要な思い込みや決めつけはないか常に意識できるかどうかで現実はあっという間にあなたの生きやすいものへと変わっていくと思います。
風羽 玲亜
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