勘違いしがちなこと
「心のあり方が現実に現れる」ことをいつもお伝えしていますが、このように勘違いして受け取る人も出てくるかと思います。
例えば悲しい、辛いという感情が出てきた時に「こんな感情を持ってはマイナスな現実がやってきてしまう」とその感情をなかったことにしようとすること。本当は傷ついて泣きそうなのに、ぐっと押さえ込んでしまうこと。
みなさんとてもやりがちな行為だと思います。
過去の私もそうでした。しっかりしなきゃといつも自分を追い込んでいた私は自分の弱音や甘えを決して許さず、辛い苦しいとなっても人に頼らず自分で何とかするものだと思ってその感情をいつも押さえ込んでいました。
おかげで鉄壁の我慢強い人にどんどんなっていったように思います。
果たしてそれで幸せになれたのかと言うのと、全くそうではなく、我慢に我慢を重ねた私は理由も分からずに勝手に涙が出てきたり突然強い恐怖感に襲われ胸の辺りがぎゅーっと締め付けられるような鈍痛を感じたりするようになりました。
強いはずの心がどんどん鎧が剥がれていき仕事以外で人と会うのも辛くなり、閉じこもるようになって、ついには心が動かなくなってしまいました。
我慢が当たり前になっている
あなたは普段自分の心から出る思いや気持ちにきちんとYESを出せていますか?
良い大人がみっともないと自分の感情を我慢していません?
人間は常に感情と共に生きています。なので大人であっても感情があるのは当たり前の事なのです。それがなぜ「みっともない」「大人だから我慢する」ことが当たり前となってしまうのでしょうか。
色んな要因がありますが、1つに子供の頃に「我慢してえらいね」「〇〇だから我慢しなさい」と言われてきたことが原因となっているのではないかと思います。
特に下に兄弟や姉妹がいる人は「お姉ちゃんなのだから妹に譲りなさい」「お姉ちゃんなのだから我慢しなさい」と言われることが多かったと思います。そのように育てられたのがきっかけで甘えられない大人になってしまうというのはよくある話です。
我慢して絶望まで経験した私は、この「我慢してえらい」という言葉にとても強い違和感を覚えます。
なぜそんな声をかけをするのか。それは大人からしてみたら子供が泣き喚いて手のかかる状態よりも泣かずにいてくれる方が周囲の迷惑にもならずに手がかからないからです。またとにかく褒めようという意識が働いているせいかもしれません。我が子ですから可愛いのは当たり前です。しかし間違った愛情の注ぎ方をしてはその子の考え方や行動に大きな影響を与えるのは間違いありません。
「我慢してえらいね」と言われ続けた子は我慢は素晴らしい、我慢したら喜んでもらえる、褒めてもらえると学習してしまいます。
その結果、どんな大人になるかは容易に想像がつきますよね。
確かにいきなり大声で泣き喚くというような周囲の迷惑も省みないような行動は人としてダメだと思いますが、自分だけはしっかりと自分の気持ちに気づいてYESを出していかないとあなたは一生自分らしく心から望む人生は手に入らないでしょう。
正しい心のあり方とは
正しい心のあり方というのは自分の感情を素直に出し自分でしっかりと認識し、受け止めることができている状態のことを指します。ネガティブな感情を否定したり、その感情を持ってはいけないという意味ではないのです。
「自分に素直に生きていく」これがありのままに自分として生きることであり、あなたの心から望む理想の人生を歩んでいることになるのです。
泣きたいなら涙を流す、嬉しいなら喜ぶ、楽しいなら笑う。これは本来人間に備わっている自然の衝動です。「我慢」はこの自然の姿を否定することになるのです。それでは自分らしく生きられないのは当然ですよね?
体を酷使し自分の意見や感情を押し殺しているのに、幸せになりたいと言っている人は永遠に幸せにはなれないのです。
あなたは大人である前に一人の人間です。大人だから我慢しなきゃいけないものなんて人生を生きる上で存在するでしょうか。
自然に込み上げてくるものを無視し続ければあなたの心は死に、まるでロボットのように無感情で何の感動も喜びもなく生きている価値すら感じない人生になってしまうのでしょう。
自分の心にYESを出すこと。これがあなたらしく生きる本来の姿だと私は思います。
風羽 玲亜
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