理解すること
より良い人間関係を築き良好な関係を保つためにはお互いの理解が必要とよく言われますよね。特に恋愛や結婚相手に対しては強くそのことを主張する人もいます。
また何かをする際に協力してくれたり応援してくれたりする姿勢に「理解のある人だ」と表現されていたりします。
しかし口では簡単に言えても、この「理解する」ということはかなりのハイレベルなことを求められているように感じます。
なぜなら人は自分のことを一番見えておらず理解できていないと言われています。自分のことを理解できていない人が他人のことまで理解をすることは出来るのでしょうか。
例えばあなたが30歳だとしましょう。パートナーとの出会いが25歳の時だったとします。
生まれてから30年寄り添った自分でも自分自身のことを理解しきれていないのに、誰があなたの理解ができるのでしょうか。まだあなたとの関わりが5年しかないパートナーの方が自分の事を理解できるなんてことは難しいと思います。
理解するという言葉の意味は物事の道理や筋道が正しくわかること。内容をのみこむこと。 他人の気持ちや立場を察すること。を意味します。
人間関係において使われる「理解」は多くの場合、この他人の気持ちや立場を察することを指していると思います。
しかし相手の立場や心境、感情はいくら寄り添おうとしても相手の中にあるものです。感情や考えていることは目には見えないものです。その人がよっぽど語彙力に優れていて完璧に言葉で言い表せるような特殊能力を持っていれば別ですが、ほとんどの場合それは不可能なことです。
あくまでこちらが相手の言葉や表情から相手の感情を読み解き、推察する部分が大きいのではないでしょうか。
理解しようとする行為
結局人は自分の経験や価値観でしか物事を判断できません。自分に相手と全く同じ境遇と価値観が揃わなければ「理解する」というのは難しいのではないでしょうか。
この「理解する」という言葉が使われる際はここまで追求しなくても要は相手に寄り添う姿勢を持ちなさいという意味で使われているのだと思いますが、理解するという言葉が適切であるのかというとそうではないと私は思います。
だから真面目な人や完璧主義者の人はこのトラップにかかってしまうのだと思います。
あなたはこれまで人間関係が拗れた時に理解しようとすればするほど事態が悪化した経験はありませんか。
結局その行為は理解するために自分ごとに置き換えて自分の解釈をして自分の中で納得させたいだけの行為だったりするのです。または「理解すべきだ」というあなたの強い思い込みによるものなのかもしれません。
相手ももしかしたら自分で根本の原因に気がつけていない場合も大いにあるのです。それなのにあなたは自分ごとに置き換えて自分の経験値から近そうな感覚をチョイスしてそうだと決めつけているだけなのです。
理解しようという気持ちや思いが強い人は相手の感情の部分に注目できておらず、起きた出来事や目に見えている部分から自分の価値観で判断してしまっているように感じます。
理解するために言語化してどうにか理解しようとしてしまうでしょう。
しかしそれは理解というより現場検証をしているようなものです。これでは実際に本人の気持ちや立場を察してはいませんよね。
人には感情が常にあります。
その時にその人がどんな感情を持ったからそうなったのかは結局本人にしかわからないのです。ですので、もしあなたが当事者だったとして相手と同じ感情にならない可能性も十分あるのです。
つまり他人を理解するというのはそれほど難しいものであり、無理な事なのだとおもいます。
理解するよりも大事なこと
大事なことは理解するよりも「そうなのだ」と認め受け入れることなのだと思います。これは自分自身の感情にも言えることです。
自分と向き合い、自分を知るためや夢を叶えるためにノートやメモに書き出すことが昨今では流行っていますよね。
しかしこの書き出すことをしても「理解しよう」とする傾向が強い人は現場検証のような解析になるだけで根本の解決には至らず、躓いてしまうのだと思います。
起きた出来事を書き出しそれに対して何を思ったのか、これからどうしたいのかというとことを書いて分析しても「じゃあ私は何をしたいんだ?」と結局疑問でおわってしまうのです。
なぜならこの書き方だと感情の部分がすっかり抜け落ちている状態なのです。感情に気が付かないという事は本当の自分に気がつけていないということなのです。
感情に気が付くことができないとあなたの中の消化されずに蓄積してしまった感情がいつしか爆発して余計に混乱した状況が起きてしまうでしょう。だからいつまでも今の状態から抜け出せずに苦しみ続けてしまうのです。
理解することよりもまずは何かを感じていることに気が付くこと、そしてそう感じていることを受け入れ認めてあげること。これが自分にも相手との関係にも必要なことだと思います。
苦しみから解放される方法
過去に相手との関係性の中で何か嫌なことがあって当時は許せずにいつまで経ってもその事に苦しめられている人は、もしかしたら苦しみから解放される為にその時の相手を理解しようとする人もいるかもしれません。
しかしそうしようとしても結局は相手の心境は相手にしかわかりませんし、相手が誰であれ理解をすることは不可能だということを知った方が良いと思います。
そうするよりもあなたがその時にどんな感情を抱いたのか、その感情に気がつく事、そしてその感情を認め受け入れることがあなたをその過去から解き放つ方法なのだと思います。また相手が怒っていたり悲しんでいたのならそう感じたんだということに気がつき、認めてあげるのです。
人は人、自分は自分です。
どんな関係性にあっても感情は人それぞれの感じ方がありますし、その人自体を理解をする事は誰であっても難しい事なのです。
だから恋愛などで拗らせている人は「相手が自分を理解してくれない」「もっと理解してよ!」と不満を言うのです。不可能に近いことを相手に要求していることにも、自分は理解しようともしていないのに相手には理解してもらおうとしている事にも気がつけていないから余計に拗らせているのです。相手には強要するのに自分は何もせず努力をしていない事に気がついていないのです。
私たちは誰よりも自分を理解しようとする姿勢が大事なのだと思います。あなたが自分に対してそのように関心を寄せ知ろうとする姿勢を持つことで自分の感情に気が付きやすくなるからです。自分の感情に気が付くことが自分を生きることでもあるのです。
あなたはどうですか?何か仲違いや人間関係が拗れてしまった時に相手を理解しようとばかりしてしまっていませんか。
また相手に不満をぶつけたり何かを思うばかりで、自分自身に関心を持ち自分の感情に気が付くことを普段からできていましたか。
違いがあるから良さがある
自分の行動を振り返ってみてください。
自分の感じたものに集中せずに相手の気に入らない点や相手に対する文句を頭の中で巡らせる行為は結局相手のせいにして自分は悪くないと正当化したい気持ちが強いだけで、結局あなたはずっとその事に悩まされて同じことを繰り返してしまうのです。
物事はあなたの心が面白いくらいに投影されています。まずは自分の心の状態や感じている事に気がついてください。そして人間関係においては相手を理解しようとするのではなく、お互い違う人間であること、違うからこそ良さがある事に気がついてください。
これは自分に対しても相手に対してもです。相手を通して自分への気づきを得る事ができますし、自分を通して相手の良さや学びを得られるのです。
理解しようとしてしまう人は理解できないことに苦しんでいます。いくら頭を使い、言語化し、推察しても相手を理解するのはとても難しい事なのです。
どうにか自分の中で納得させて解決したい気持ちが強いのでしょうが、その理解しなければならない呪いから自分を解放させてあげてください。
いつまでも同じ人間関係に苦しんでいるのならば結局その行動は余計に自分を苦しめてしまう行為となってしまっているのです。
私自身も人間関係に苦しんだ時は同じように理解しようと四六時中相手のことを考えていました。ですがいくら考えていろんな方法を調べたり試しても何も変わらないどころかどんどん悪い関係が広がっていきました。しかし自分の感情や心の奥底に閉じこもっていた感情に気が付き、相手のことを考えている時間が結局相手への執着であったり自分の中での決めつけや「理解をしなければならない」という思い込みであることに気がついたのです。
まず自分に集中することでこれまでの決めつけや思い込みを全て手放すことができました。そして自分も相手の違いも受け入れ認めることで人間関係に苦しむことは一切なくなったのです。
あなたが相手を理解しようとしているのは、実は自分のフィルターをかけて自分の中に当て込むために勝手に解釈したい気持ちだけなのかもしれません。
それは相手の立場を察する行為ではなく、自分を納得させたいもしくは自分の正当性を主張したいと言うような自分のエゴでしかないのです。白黒はっきりさせたい気持ちも痛いほどわかります。何せ過去の私もまさにそのような考え方をしており、グレーや曖昧さが出ると混乱し、とても苦しみました。しかしそう苦しめていたのは自らの間違った考え方や行動が原因だったのです。
人は人、自分は自分。みんな違うからこそお互いの良さに気がつけ、その違いがあるからこそ生まれる良さがあるのです。
そのことを意識できていればあなたは人間関係に振り回されずにもっと大事なものに気がつけると思いますよ。
風羽 玲亜
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