必死に行動した先に待っていたもの
過去の私は幸せになりたい一心で必死にもがき続けて、最終的に幸せになるどころか現実と自分に絶望し、残ったのは病んだ心と疲れきった身体でした。
だからこそ心が病んだ時の気持ちは痛いほど分かりますし、必死にどうにかしたくて行動し続ける理由もものすごく理解できます。
しかし間違った行動をしてしまうと更に心は悪化していつしか壊れてしまいます。
当時の私は、心が壊れかけていました。あんなに必死に行動していたのに一体なんの為に生きているのか、自分は何が好きで何をしたくて生きているのかがわからなくなってしまったのです。今の私を知る人から想像できないとはよく言われますが、本当に色んな大事な物を見失い、自分自身をも見失ってしまっていたのです。
もし今とても心苦しい思いをしている方には過去の私と同じような経験や思いは絶対にしてほしくありません。なぜなら私が経験したのはまるで生き地獄のような日々だったからです。いっその事生きるのをやめたらこの苦しみから解放され楽になれるのではないかと何度思ったか分かりません。
今考えてもあの時の私の状態はあと一歩で大変な事になっていたかもしれないと思います。
あなたには決してそうなってほしくはありません。
確かに現状を変えたり今の自分から変わる為には行動は絶対に必要不可欠です。しかし思い違いをしてほしくないのはただ行動すれば良いわけでもありませんし、間違った行動をしてしまえば更に修復が大変になり場合によっては取り返しのつかない事になってしまう事を忘れないでほしいのです。
行動することでそれがわずかなやる気や生きる希望になったり、何もしていない自分よりはるかにマシだと気が少し楽になるのはよく分かります。過去の私がまさにそうでした。ですが行動する分結果が出ないことが結局「何もしないことと変わらないのではないか」「何をしても無意味なのではないか」と更に自分で自分を苦しめる材料になってしまうのです。
私はこれを何度繰り返したか分かりません。行動するたびに何も変わらない事に焦り更に行動を増やし、体力とお金が続く限りあらゆることをしました。現状が変わらないのは「行動がまだまだ足りないからだ」「何も持っていない自分だからだ」「まだまだ未熟だからだ」これが過去の私の自分自身に対してかけ続けていた言葉でした。
当時私がしてしまっていた間違った行動について今日はお伝えをしたいと思います。同じような行動をしていると感じた人は一刻も早くその行動はやめてほしいと思います。
1.ネットで検索する毎日
過去の私はどんどん周りの人たちとも距離を置くようになり友人たちにも会わずにどんどん孤独になっていました。そうすると時間を見つけてはネットを見るようになり、ネット依存のようになりました。
最初は幸せになる為の方法はないかと色々探していたのですが、そこからいろんな情報を見るようになり完全にネットに時間を費やすようになってしまったのです。移動中も欠かさずスマートフォンを見続け、幸せになる方法を見つける筈がSNSに存在するキラキラとした、悩みなんて一切なさそうに生きている人達に嫉妬しそれらを食い入るように毎日見て今の自分と比べては更にどんどん惨めだと感じるようになってしまっていたのです。
いつの間にか幸せになる為に行動していた事が自分を惨めにさせる行為となってしまっていたのです。まるで幸せがネットの中のどこかにあるかのように依存して検索し続ける日々でした。
私自身も今はこのようにSNSというネットを通して情報発信をしている身ではありますが、病んでいる時ほど出来る限りネット断ちとデジタルデトックスをして欲しいと思います。いかに自分がネットやスマートフォンを見て大切な時間を奪われているのかに気が付くことが大切ですし、残念ながらあなたの幸せはネットのどこを探しても絶対に見つかりません。
見れば見るほど自分を苦しめる情報ばかりを目にするようになり、事態はどんどん悪化していきます。これもまさに心のあり方が現実にそのまま投影されているという事なのです。心が病んでいる状態で引き寄せるものは当然あなたを更に苦しめるものばかりとなるのです。
2.色んな人に会いまくる
次に起こした行動は今度は一人でいても病むだけだからと人に会いまくっていました。自分でぐるぐると悩んでいるから悪い方向にばかり進んでしまうんだ。じゃあ、みんなに会ったり相談したら良いアドバイスをもらって状況を変えられるのではないか。そう思って手当たり次第連絡がつく人に会って相談に乗ってもらっていました。
実際に私の目から見ればみんなそこまで苦労はせずに私より幸せそうに写っていました。だからこそ何かコツがあるのだとも思っていたのです。その人が幸せになれたのだから私もそうすれば幸せになれる。そう思ってしまっていたのです。
結果その人のいう通りにしても状況は好転はせずに益々悪化していきました。逆恨みとまでは言わなくても「あの人の言うことなんて聞かなければ良かった」と思って結局その人とも会わなくなってしまいました。今思えばそんな自分に対してなんと自分勝手なんだと思いますが、当時の私はそれほどまでに追い詰められ自分ではどうすることもできないからこそ人の力を求めていたのだと思います。
しかしその人自身も自分と向き合い乗り越えてきたことがあるのです。その人は自分で自分の心のケアをしてきたから幸せに過ごせているのだと思いますし、もしかしたら幸せそうに見えているようで実はそうではなかったのかもしれないのです。
また人の言葉というのはその人の経験からくる価値観や思い込みが色濃く反映されています。その人のいう通りのするというのはかなり危険な行動です。なぜならあなたはその人ではありませんし、その人の人生を代わりに生きるわけでもないからです。自分で人生の舵取りができなければ常に難航するだけなのです。
また、色んな人に会うことはただ現実逃避をしているだけだったりするのです。人に話すだけでも気分が楽になったり、寄り添ってもらうことで癒されることももちろんあります。しかしそれもその人と会っている間の束の間の癒しであって、自分で自分を労わり大切にできなければ状況は変わることはありません。更には幸せそうに映る相手の姿と自分を比べてしまって余計に辛い思いをする可能性もとても高いのです。
3.占いに通いまくる
口コミやネットでの情報を頼りに当たる占い師を探しては遠方でも会いにいったりしました。
パワーストーンを買ったりお札を買ったり悪霊を退散させる儀式をしたり盛り塩をしたりとあらゆることをしました。対面だけではなく遠隔で祈祷してもらったり、チャットのように占い師に相談できるものや電話での相談、占い師のサイトに登録して課金しながら相談したりとあらゆる占いをしました。
しかしこれも2での経験と全く同じでその人のアドバイス通りにしても何も変わらず悪化するばかりでした。
その時に行った占いで誰一人私の未来を言い当てられた人はいませんでしたし、キーパーソンやソウルメイトやツインレイといった人の特徴や生年月日などを言われましたがそれすらもどの情報も全く当たりませんでした。
これは個人的にとても感じたことですが、よく当たると言われている占いの特徴があり、それは未来の事ではなく過去のことを言い当てて当たっていると騒がれているものがほとんどだと思いました。言われた内容を思い出しても捉え方によって自分にも当てはまるような言い方やケースを言われていることが多いと思いました。
私たちは病んでいる時ほど「自分もそうだ!」「自分に当てはまっている!」と都合の良い解釈をしがちですし、そもそも自分で冷静な判断ができるのなら相談には来ないのです。未来のことも完璧に言い当てられる人にもし出会えたのなら奇跡だと思いますが、そうであれば生きる上でその人のアドバイスなしで生きていくことが難しくなってしまうのではないでしょうか。その人が本当に力のある占い師であったとしても結局はその人があなたを幸せにはできないのです。なぜならあなたが生きているのはあなた自身の人生だからです。あなたを幸せにできるのは他でもないあなただけなのです。
これは私の知人の経験談ですが政財界や芸能人、著名人を顧客とし完全紹介性で簡単には出会えないような占い師に運よく見てもらえることになり、自分のこれから死ぬまでをみてもらったそうです。死ぬまでの年表を紙に書いてもらって鑑定料は高級車が買えるような金額です。ですがそこから10年以上経っていますが実際に言われたことは殆ど当たっておらず、結婚せずに独身で生きるとまで言われていたのに結婚して2児の子煩悩なパパとなっています。あなたはこれを聞いてどう思うでしょうか。
4.旅行に行く
気分転換に旅行に行く人も多いと思います。旅行というのは皆んないろんな理由でいくと思います。
しかし心が病んでいる時の旅行も結局は一過性の癒しに過ぎないのです。なぜなら私自身国内、国外旅行を単身で何度か経験しましたが、とても惨めな気持ちになってしまったからです。
素敵な景色を見たり美味しい食べ物を食べている時には瞬間的に感じる感動があっても、心が病んでいては心から味わったり楽しむことができないからです。どこかで虚しさやこの楽しみを分かち合う人もいないことも全て自分を苦しめる材料となり、せっかくの旅行でも心の奥底で感じていることというのは家にいても旅先でもちっとも変わらない状態だったのです。
少し心が疲れたりストレスを感じている時の旅行というのはとても良いものだと思います。日常から離れることでいろんな発見もあり、抜群の癒し効果もあり心身ともに高いリフレッシュ効果を感じられると思います。しかしこれはあくまでベースの心が病んでいないからそう感じることができるのです。
人は失わないと大事な事にはなかなか気がつけないとは言いますが、心がまさにそうだと思います。心が病んでいる時にはどんなに贅沢に過ごしたり優雅な暮らしをしたとしても、心から楽しむことが出来ず大切な気づきを得ることもできないのです。
5.一人でやり遂げようとする
生きる上で人間関係はとても大事です。実際に多くの人が悩んでしまう理由が人間関係とも言われています。
人間関係を荒立てないようにする為だったり、正義感や自立心の強い人は人に迷惑をかけまいと一人でなんでもやろうとします。私自身宝塚に入ったことで親元を離れてからはかなり自立心が強くなりました。甘えは許されない世界だからこそ強い自立心のおかげで色んなことを乗り越えられたと思います。
しかし自立心と人を頼らないことは決してイコールではありません。私たちは常に対人関係の上で生きていますが、同時に多くの人たちによって生かされています。ですから自覚はなくても大前提として誰しもが人に頼って生きているのです。その事に気がつけずに私は自立心が強く自分一人で生きていると思い込んでいたのです。
人に迷惑をかけたくないと思っていたのと同時に実は相手に対してどこか信頼しておらず見下していた部分もあったのです。
心が病んでいた時はさらにその思い込みが強くなっていました。ですがその相手に対しての思い込みというのは実は自分自身に対しての思い込みだったのです。つまり自分で自分を信頼していないから他人も信用も信頼も出来なかったのです。
人は支えあって生きるものです。その前にまずは自分を自分で信用し信頼しないと過去の私のように他人に対しても信用も信頼もできなくなってしまうのです。そうすると結果孤独に陥りその先に明るい未来は決して存在しないのです。
頼ることで人との関わりが出来、その人の事を知ることも出来ます。あなた自身がその人から刺激をもらったり学んで成長することができるのです。心が病むと人と距離をとりたくなったり何でも自分でやろうとする傾向が強くなりますが、それは益々事態を悪化させ、人とのつながりを拒否してしまうことになってしまい幸せな人生とはかけ離れたものとなってしまうのです。
終わりに
5つお話ししましたが、いかがでしたでしょうか。
これらの中であなたが今とっている行動と被るものはありませんでしたか?
さんざん行動して苦労してもこれを繰り返しておいればあなたは永遠に幸せにはなれずに、より苦しむ日々を過ごすことになってしまうでしょう。
そうならない為にも自分と向き合う時間をどんどん増やし、唯一無二の自分の存在の素晴らしさと世の中は非常にシンプルな物である事に気がついてくださいね。
風羽 玲亜
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