私の実体験

人生に正しさを追求し過ぎない

正義感こそ自分の取り柄だと思っていた

私はとても正義感の強い人間でした。

そう、今となってはこのように過去形ではっきりということが出来ます。

なぜなら人生において自分の正義感を振りかざすことはただのエゴ、自分の価値観を周りに押し付け、自分自身もとても窮屈な生き方になってしまうと気がついたからです。そして実は心の奥底ではそんなことをすることを少しも望んではいなかった事に気がついたからです。

私はとても真面目で真面目すぎる自分に正直疲れ果てていたところもあります。自分の不器用さが嫌で世渡りも決して上手な方ではなく、人に頼るということも出来ない人間でした。

私が正義感が強くなってしまったのはこの自分の不器用さ、頭でっかちなところを認めたくなくていつの間にかそれが正義感へとすり替わってしまったのだと思います。

真面目だからこそ白黒はっきりさせたかったり、根性、努力さえすれば必ず道は拓けるんだと自分のこれまでの経験や価値観だけでそう思い込み、自分を正当化していました。なのでどんなに行動しどんなに努力しても自分が幸せになれない事にも、そうやって悩んでいる事自体も自分では納得いかずにいつもイライラしていました。

本当の自分をひた隠していた過去

友人に対しても「努力しない人は嫌いなんだよね」と言って周りへのマウントをいつの間にかとり、不安で不器用な自分を隠そうと必死に自分を正当化させようとしていたのだと思います。

その行為は白黒つけようと自分の中でジャッジをして、知らないうちにこのように無意識に行動や言葉に出してしまい、結果誰かを傷つけたり不快な気持ちにさせてしまうのです。

懐の深い友人は「そんなに努力してきたんだね」「頑張ってきたんだね」という言葉をかけてくれましたが、今ではそんな自分の発言をとても恥ずかしく思います。

自分に余裕がなく、必死にそうやって頑張っている自分、自分の中の正論だと思っていることを周りに押し付け、なんて身勝手な行動をしていたんだと反省しています。

当時の私はそうやって自分を正当化し、ありのままの自分を見ないようにひた隠していたのです。だからいつまで経っても自分を受け入れられずに自分を拒絶するような現実が起きていたのだと思います。人にはそんな偉そうに言っておきながら、ありのままの自分を受け入れる勇気すらなかったのです。

人それぞれ違うもの

人生は色んな生き方があります。そして人の数だけ幸せの形があると思います。『人それぞれありのままでその人らしく生きることがその人の幸せの形であり、その人の理想の人生』なのです。

白黒はっきりつけたいという気持ちの裏には自分に対してなにか思うことがある可能性が高いです。

そもそも「正しい人生」など存在しません

過去の私のように「正義感が強い」というのを捉え間違えていませんか?

正義感の意味は不正を憎み、正義を尊ぶ気持ちのことであり、簡単にいうと自分が正しいと思ったことを通そうとする気持ち・感情のことを指します。

そこにある「正義」はあなたの一方的な価値観や思い込みではないですか?、マイルールや価値観を貫きたい気持ちの裏に自分を正当化させたい理由が隠されていませんか?

正義感が強くならないといけない理由がそこに潜んでいるかもしれません。自分を犠牲にすることが正義感が強いと勘違いしている人も沢山いると思います。

誰かの役に立ちたいという気持ちはとても素晴らしいことです。ですが、それと正義感は似て非なるものであると思います。

人生に正しさを求めるのではなく、あなたの心から望むものを知ることの方が何倍も幸せな人生にする事が出来ます。

人は人、自分は自分です。人の幸せがあなたの幸せになるとも限らないですし、その逆も然りなのです。

自分の幸せは自分でしかわからないですし、自分次第で幸せになれるかどうかが決まるのです。

あなたは自分の人生に対してどう思い、どんな行動をしていますか?

自分の思い込みに気づきどんどん手放して身軽になっていくほど、大事なものに気がつくことが出来ますよ。

風羽 玲亜

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