言葉の意味に後から気がつく時もある
あなたの中に自分が救われた言葉や心に残っている言葉はありますか。
大抵がその言葉をかけた側は忘れていることが多いですが、かけられた方はその言葉によって救われたり、何かある度にその言葉を思い出し、当時の思いやまたその言葉に再度勇気づけられたりします。
私も数々の言葉に救われた経験があります。その中には当時は理解ができずにいたり、半信半疑な気持ちで受け止めってしまったものもあります。
しかし時が経ち、ふとした時にその言葉を思い出してその頃の思いや感情がいつの間にか癒えているのに気がついたり、本当にそうだなぁと後からその言葉の素晴らしさに気がついたりする事もあります。
私自身これまで色んな経験をし、特に人生に対してどん底のような感情を味わったからこそ同じような悩みを持っている人に対して何か救いになれたらという思いでいます。だからこのような発信をしようと思い、ブログを書き始めました。
その為に何か心に残るような言葉や救われるような言葉を書いていきたいと思うのですが、そうしてしまうのも何か狙った言葉となってしまってメッセージ性も乏しく何よりどこか下心のようなものを秘めているように感じ、なかなか良い言葉というのは案外思いつきではなくその時の気持ちに触れた時に自然と口から出たものだから良いのだろうなと思います。
友人にかけられた言葉
私自身がかけられた言葉の中で、ふと思い出してとても納得した言葉があります。
それは「人に相談したり聞いても実際に経験してみないと分からないことの方が多い」という言葉です。
これは当時、私が人間関係に疲れていた時に友人から掛けられた言葉です。久しぶりに集まった友人の集まりでお酒を片手にほろ酔いになりながら聞いていた言葉です。
その時の私は人間関係が最悪で自分の人の見る目のなさにもショックを受けていて何もかもが嫌なものに感じ、自分を不幸だと嘆き、自信を喪失していました。
そんな自分の判断すら信じることが出来ずに、色んなことを知り合いや友人に相談するようになっていました。多分そんな痛々しい私の心理状態を読み取ってくれたのかは定かではありませんが、そんな時にその言葉をかけられたのです。
しかし当時の私はその言葉をかけられた時に「人に聞かずに自分でなんとかしろ」と言われたんだと受け取ってしまい、その友人からも突き放されたと思ってしまっていたのです。
結局誰も助けてくれない。私はやっぱり人には恵まれないんだ。人生は元からうまくいかない人とうまくいく人というのは決まっているのだなと思ってしまったのです。
悩んでいた私は常に自信がなく自分を信じていませんでいた。だからそのような現実を引き寄せてしまっていたことにも気がつけずに、私の相談に乗ってくれた友人の言葉ですらそのように卑屈に受け取ってしまったのです。
今となってはこの言葉の意味がとても理解出来ます。友人は事実を述べてくれていたのだとはっきりと分かります。
心の状態で言葉の受け取り方は変わってしまう
その時の私のままでは決してうまくいない人生でしたし、挑戦することすらも恐れて自分から学ぼうという意識がなかったからです。人に聞いてどこか楽をしようとしていましたし、経験しなければ決して見えてこないものは沢山あるからです。
人それぞれ感じ方も違えばもちろん結果も変わるのです。人それぞれの望む未来も感覚も違うのですから、その言葉の通り経験してみないと自分がどう感じ、どう思い、どう解釈し、その経験から何を学ぶのかは誰にも分からないのです。
その時の自分の未熟さに恥ずかしくなりましたが、人間関係が最悪だと思っていた私でもそんな素晴らしい友人がいてくれたことに非常に感謝しています。
結婚の報告とともに久しぶりに連絡した時も変わらず優しく自分のことのように喜んでくれた友人には改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。
自分の心の状態が荒んでいると本当に大切なことを見過ごしてしまうのだなと思います。それこそが不幸な人生だと思います。
もしあのままの自分だったら、あのままねじ曲がった解釈をしたままだったら友人とも疎遠になってしまっていたかもしれないと思うと、心のあり方はどんな時でも強く作用するということを再度実感しました。
あなたの心の中にもし引っかかるような言葉だったとしても、それが今でも残っているのなら、もしかしたらそれはあなたにとってとても大切なことを気づかせる言葉だったのかもしれません。その言葉をかけられた時の自分の心はどんな状態でしたか?もしかしたら捻じ曲げて解釈してしまっていませんでしたか?
ぜひ一度自分の中に残る言葉について自分も含めて振り返ってみてくださいね。その言葉の本当の意味に気がつくかもしれません。
風羽 玲亜
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