私の実体験

尽くすことと見返り

尽くす行為に潜むもの

あなたは誰かに尽くすことは好きですか?

元々世話好きな人や面倒見が良い人っていますよね。

尽くしすぎる人との違いは何だと思いますか?

それは『見返りを求めているのかどうか』だと思います。

尽くしすぎる人の心の中では一体何が起きてそのようになってしまっているのか。それは「今の自分に満足していない」「満たされていない」という心の枯渇が起きています。

そうなると常に外側にあるものでその渇きを満たそうとします。人に対して過度のお節介やお世話やアドバイス、過干渉という相手に尽くすことをします。人にやってあげることで感謝されたい、自己顕示欲や承認欲求や存在価値、喜んでもらえるという充足感を感じ、それがもっともっととなって過剰になってしまうのです。

望む以上のことをし過ぎるとその状況が当たり前となって相手から良いように利用されたり、相手が成長する機会をも奪ってしまう可能性も少なからず出てきます。そして尽くすことで相手に「自分を満たしてほしい」という見返りを強く求めてしまっているのです。結局これは相手のためではなく、自分のエゴを押し付けているのです。

そういう人ほど相手の気持ちを考える余裕もなくなり、こんなに尽くしているのになんで何もしてくれないのかと逆上する傾向にあります。

これは本当に自分勝手な行為です。相手はそんなあなたの姿ははっきり言ってホラーです。その状態が続いてはあなたと関わりたくないと心から感じると思います。

なぜ幸せになる方法が効果を感じなかったのか

あなたがすることは相手の見返りを求めることではなく、自分で自分を満たすことです。

あなたの心の渇きは誰にも何にも満たされることはありません。あなた自身があなたの心を満たそうとしなければあなたは「渇きを満たしてくれる何か」を求めて周りから搾取しようとします。そんなあなたからは人がどんどん離れていきます。そして永遠に満たされずに周りに誰もいないような孤独な毎日を過ごすことになってしまいます。

自分の心をきちんと満たしている人は相手から見返りを求めようとはしません。返ってきたらラッキーくらいには思っても、それよりも純粋に相手の喜んでいる姿が見たくてやっているのです。そうすると自分の心がさらに満たされていくので何倍もの幸せなエネルギーを得ることができているのです。これもまさに引き寄せの法則が起きています。心にあるものは連鎖します。心が愛や優しさで満たされているとそれが連鎖するのです。

『人に親切にすることが幸せにつながる』というのはこういうことなのです。しかし心が枯渇している状態の人が同じように人に親切にしようしても心はカラカラに乾いた状態でいるので相手に常に見返りを求め、結果満たされずに幸せだと感じることが出来ないのです。

過去の私のように幸せになりたくて世に出ている「幸せになる方法」をどんなに試しても効果がある人とない人と結果が分かれてしまうのは、これが原因となっているのです。だからあなたは全く効果を得ることができずに「その方法は効果なんてない」と思ってしまっていたのです。

無償の愛と自己犠牲的な愛の違い

あなたの普段の自分の行動を振り返って見てください。誰かに過剰に尽くしたり、依存したりしていませんか。それは相手に対しての気持ちではなく、自分の満たされないものを一生懸命相手で埋めようとしている表れかもしれません。

心が満たされている人は心から相手の幸せを願い、相手に負担をかけたり相手から何かを搾取するようなことはしません。それこそ無償の愛であり、またあなた自身が自己犠牲的になるものでも決してないのです。

自己犠牲的に愛情を注ぐ行為は結果誰も幸せにはなれずむしろ不幸を呼ぶ行為です。これは相手に愛を注いでいるようにみえてこれも『あなたが満たされていない部分を相手で満たそうとしている行為』なのです。それを無償の愛と勘違いしている人は実はたくさんいるのではないかと思います。

自己犠牲で満たされるものというのは何もありません。強いていうならそこまで尽くす姿が健気だとそんな自分に酔いしれることができることくらいでしょうか。しかしその気持ちもすぐに惨めな気持ちへと変わっていくでしょう。

あなたがもし「尽くすのが好き」「どちらかというとよく尽くす傾向にある」のなら、どんな心の状態からきているものでしょうか。

それは自分でも気づかないうちに見返りを求める行為や自己犠牲的なものになっていませんか?

ぜひ行動と心の状態を振り返ってみてくださいね。

風羽 玲亜

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